これは私が同僚から聞いたことで、目からうろこが落ちたことです。
(同僚は先輩から教わったと言っていました)
一概には言えませんが、クラスには担任に対していろいろな思いをもった子がいます。その先輩によると・・・
・クラスの3分の1は担任の先生が好き(又はまあまあ好き)
・クラスの3分の1は担任の先生が苦手(又は嫌い)
・のこりの3分の1はそのどちらでもない
担任教師がクラスをまとめるためには、「そのどちらでもない」
3分の1の子どもを味方につけなけらばならないということです。
議会で過半数の支持を得なければならない、総理大臣や大統領と比較するのはどうかと思いますが、子どもの支持がなければ、十分に指導を行うことなどできず、正義に貫かれた学級をつくることが難しくなってしまうのです。
そのためには、どうしたらよいか?
特別なことをする必要はありません。私は次の3つのことを行おうと努力してきました。
1 当たり前のことを、当たり前に行う
よく言われることですが、意識をしないとなかなか難しいものです。
それは・・
・時間を守る(授業終了のチャイムが鳴ったら授業を終了する)
・毎日、学級の全員と会話ができるように努める
※努めてもなかなかできませんが、意識することが大切です
・勉強だけでなく作業もまず「丁寧に」、次に「美しく」、さらに「速く」できるように指導を工夫する
※世の中に出たら、「速く」が求められます。しかし、これを優先しすぎると「雑」になります
「いじめは許さない」、「分け隔てなく子どもと接する」ということを目標に掲げる方もいますが、これは当然のことであり、私は目標としてはどうかと考えます。
居心地がよく、自分の存在感を感じることができ、そして秩序のあるクラスに育てようという担任の努力によって無党派層の子の支持を得ることができ、ひいては担任が苦手な子も心を開いてくれるのだと私は信じています。
2 簡単で続けられる指導を行う
これも同僚の実践を見て、素晴らしいと感じたことです。簡単なことですが、毎日続けようと努力を重ねることができれば、効果は絶大です。
その同僚は帰りの挨拶の後、クラス全員の子と握手をしてから家に帰していました。
何かの理由があったにせよ、叱ったままで子どもを家に帰してしまうことが絶対にないよう、必ず話をする機会を自分でつくっていたのですね。
また、ある同僚は子どもがよい行いをすると、機会を逃さず、家庭への連絡を行っていました。
電話での会話の中や連絡帳のわずかな記述でも構いません。自分の子が褒められると親はうれしいものです。(私もそうでした。)
ある保護者の方がお話ししていたことです。
「担任の先生から電話がくると、またうちの子が悪いことをしたと思い、ドキッとします。」
おそらく、その保護者の方は担任からの電話で「よい思い」をしたことがなかったのでしょう。
悪いことはすぐ見えますが、よいことは意識をしていないと、なかなか見えてこないものです。自分自身も日々反省をしています。
3 簡単に見えるが、失敗の危険性が高いことはしない
簡単に見えます。子どもも喜びます。
でも・・・
方法を間違えると、必ず失敗することがあります。今まで見てきた失敗例をあげてみます。
(1)「ご褒美」で動かされる子どもは目的意識を失う
サービス精神が旺盛で、子どもを喜ばせたい教師が陥りがちなことです。
「○○○の行事がよくできたから、今日は特別に・・・・・・・」と、私もよく子どもに言っていました。
しかし、度が過ぎると、ご褒美がないと頑張らなくなったり、努力もそこそこにして、もっとご褒美を欲しがる子どもに育ててしまう危険性があります。
一番の問題は「何のために頑張るのか?」という目的意識を子どもに見失わせてしまうことなのです。
少々のご褒美で次の頑張りへの意欲をもたせるのは大変結構なことですが、人のため、自分自身のためという内発的な動機付けが大切なのです。
(2)「がまん強い子」を無理につくらない
「○○さんはがまん強いから・・・。」、「あの子なら、最後まで・・・。」
と、ついつい私たちは頼りになる子を求めてしまうことがあります。
でも・・
本当に不屈のがまん強さをもつ子が、どのクラスにもいるのでしょうか?
手のかかる子のお世話を手伝ってもらっているつもりが、実は、その子の我慢を強いていることがあるかも知れません。
まして、クラス替えがあり、子どもも頑張りたい、人の役に立ちたいと思っている時期は注意が必要です。
「がまんができる子にどの子も育てたい。」という教師の願いが、いつの間にか特定の子にのみがまんをさせてしまうことがあってはならないのです。
どの子にも小さながまんをさせ、どの子も弱音が吐けるクラスこそ平等なクラスだと私は考えます。